1
ここはファンブルグ城地下の試練の回廊。
後にはその名の由来も忘れられてしまう地ではあるが、この頃はこの世界に召喚されし者たちが最初に降り立つ地として、その賑わいを見せていた。
「賑わい」とは言っても、さほど人が多いわけではない。
召喚する者、召喚された者に試練を与えるもの、助言をする者、そして、召喚されし者。
召喚は一日に複数回行われ、その都度「召喚されし者」が回廊を登っていく。
城下東に広がる露店街などに比べてば十分に寂れていると表現できるこの地ではあるが、この人達にとっては十分に賑わっていると思えていた。
「ごきげんよう、せいぜい勇者候補として頑張りなさいな」
回廊を登る途中、奇異の目を向けてくる勇者の卵達に対して、そのように声をかけるその人は、およそこの地に似つかわしくない緑色のドレスに身を包み、口元を豪華な羽扇子で隠しつつ、微笑んだ。
声を掛けられた勇者候補達は困惑し、曖昧な笑みを返しつつ先を急ぐ。
そんな後ろ姿を見送りつつ、『お嬢様』は傍らの少女に気だるげ話しかけた。
「今日も退屈ですわね、セバスチャン」
話しかけられた、その長い金髪を後ろで束ねベレー棒を被った少女は楽しげに
「今日は試練を受ける方が多いじゃないですか!ヌシさん大活躍ですよね!」
と笑顔で答える。
何が活躍なのやら・・・。ただ通り過ぎる勇者候補達に、先ほどのような一言を掛けているだけである。
しかし、この少女はそのように、この『お嬢様』の存在を知っている人が城下に増えていくことが嬉しくて仕方ないらしい。
そのへんの感覚は、『お嬢様』には全く理解不能であった。
何せ、当の『お嬢様』自身が、己の存在を知っている人が居ようが居まいが、あまり気にしない性格なのである。
しかしまあ、この少女はどうやら自分への好意から、他に対してこの人を誇りたい、という気持ちに至っているようであり、その感情が理解できないものであれ『お嬢様』は感謝の気持ちを持とうと心がけていた。
「外の皆さん、どうしてますかね・・・」
ふと少女がこぼす。
外の皆さんとは、城下で生活をしている面々のことである。
王立飛び研究所という組織に属している彼らは、つい先日王宮を賑わしたばかりだ。
「親衛隊にセルローニャさんの消息を追わせてますわ」
「そうだったんですか・・・。流石に抜かり無いですね」
先日の事件は、このセルローニャという人から端を発していた。
最終的にはファーレン国王まで巻き込んでの事態にまで広がったものの、この『お嬢様』の策略が功を奏し、事態は収束していた。
しかし、この人はそれで解決とはせず、親衛隊と呼ばれる回廊外で諜報活動を行っている部下達に、その後のセルローニャの動きを追わせていたのだ。
ちなみに、ベレー帽の少女もこの親衛隊の存在は最近まで知らなかった。
一体どこから、どんな繋がりで集めてきた人達なのか全く不明であったが、親衛隊長の名が「アハーン」であると知ったときに、なんとなく経緯に想像がついた。
「セルローニャさん、お元気なんですかね?」
ベレー帽の少女に質問に、『お嬢様』は黙り込んだ。
そう、セルローニャは元気である。
良い意味でも悪い意味でも、あの若さと行動力は周囲に大きな影響を与える。
(全く、あの実直馬鹿娘は・・・)
自分のほうが年下であることをを棚に上げ、『お嬢様』はため息をついた。
今セルローニャが起こしている問題は、いつまでも放置しておくわけにはいかない。
いずれ自分が極秘裏に動き出さねばならないだろう。
なぜなら、この件については研究所を巻き込みたくはなかったからだ。
2
「立ち退きという意味でして?」
『お嬢様』は、急に訪れたオスカー氏に問うた。
「左様です。ここはじきに試練を行う為の場所では無くなります。そうなれば、あなたがここに留まる必要もございますまい。もっとも・・・」
オスカー氏はそこで大きなため息をつき、続けた。
「そもそも試練を行うこの地に住みつこうなどと試みているのは、王国始まって以来あなたしか居ませんので、本来でしたらこのような忠告は無く事を進めるところですが・・・」
「あら、それはご親切に有難う」
言葉とは裏腹に、『お嬢様』の眼光が鋭さを増してオスカー氏を捕らえる。
氏はこの変わり者の『お嬢様』と話すことは初めてではない。
過去に幾度となく、試練を終了させよ、勇者であるのか否かの判断を受けよと忠告してきているのだが、その都度かわされてきていた。
『お嬢様』が言うには、この世界に連れられてきたことは自分の意思では無く、よって自分は自分の意思によってこの世界に留まっている訳ではない。
むしろ、王国の都合によって留まることを強いられており、そこに一切の義務は発生しない筈である、というものであった。
確かにこの人はファーレンで生まれ育ったわけでもなく、自らの意思で移住してきた民でもない。
召喚された身を十分に生かし、わがままを通しているのである。
勿論、そんな言い分は無視して追い出すことも可能なのだが、そういった理屈を抜きにしても、王国としてこの人に強く出れない訳があった。
ゲイツ氏の言葉によると、確かにこの『お嬢様』への召喚儀式は『失敗』した筈だという。
異世界との扉を開き、こちらの世界に引き寄せようとしたところ、恐ろしいまでの魔力で抵抗され、召喚できなかった。
なのに、儀式終了したときには、召喚の間にこの人は居た。
ゲイツ氏にしても、彼女が何故今ここに存在しているのかまったくもって不明なのだ。
氏、曰く
「彼女の身体はファーレンにあるように見えるが、実のところは異世界にあり、そしてそれは今もなお活動中なのだ。ファーレンに来たのは精神のみであるというのが近いところであるが、そうなると異世界とファーレンに精神が存在することになる。あるいは、異世界では精神の抜けた身体のみが存在しているのかもしれない」
そんな経緯もあり、オスカー氏にとってこの『お嬢様』は畏怖の対象ですらあった。
強力な魔力でゲイツ氏すらも打ち破った異世界人の精神が具現化したもの。こんなに得体の知れない存在は無い。
「ここを立ち退くなら、次は何処に行けば宜しいんですの?」
冷え切った紫の瞳がオスカー氏を射ぬき、問う。
「ローゼンベルク学園・・・」
「あぁ、あの勇者候補の収容施設ですわね」
いちいちこの人は無礼である。
ここまでとなると、仮に反国王派に仕立て上げられても文句は言えない。
「全く、あのような施設を作って、王国は勇者を育成することで生み出すつもりなのかしら?」
「勇者は人の手によって育てられるようなものではありません。勇者は生れてからして勇者たるものです」
「その勇者が現れず、王国もいよいよ尻に火がついているんじゃありませんこと?」
「とにかく!今度こそ、この回廊から出て下さい。王国も、いつまでも貴方だけ特別扱いという訳にはいきません」
言うとオスカー氏は踵を返し、回廊を上って行った。
すれ違いに、心配そうな顔つきのベレー帽の少女が駆け降りてくる。
「ヌシさん、今回も王国の命令を無視するんですか?」
「聞き入れる必要性がありませんわね」
「いつか本当に収容所送りになっちゃいますよ・・・」
『お嬢様』は返事のかわりに鼻をフンと鳴らす。別段、収容所に送られるのも学園に送られるのも、この人にとっては大差無い。言ってしまえば、回廊で生活を続けることですら差は無いのだ。
「どうでもいいですわ。それより、アフタヌーンティーの時間じゃありませんこと?」
「あ、すぐ準備しますね!今日は紅茶と緑茶、どちらにしますか?」
そんな些末な問題はあるけど、結局のところは平和な日常光景である。
そんな折、突如その日はやってきたのであった。
3
「まさか、そんな筈は・・・」
頬を伝った冷や汗が顎先で滴となり、ぽたりと寝具に落ちた。
豪奢な布団の中、『お嬢様』はこの人には珍しく動揺していた。
おかしい、こんな筈はない。
ドアが軽くノックされ、声がする。
「お嬢様、朝でございます。ご起床下さいませ」
老いても張りのある声。言うまでもなく、『お嬢様』の執事のものである。
「・・・起きてますわセバスチャン」
「左様ですか。朝餐の準備が整ってございます。本日はグレートホールでお召し上がりでございますか?」
「部屋で良いですわ。運んで頂戴」
「御意のままに」
執事の気配が遠のいてゆく。
『お嬢様』は、心を落ち着かせつつ、状況の把握を試みる。
何がおかしいって、今ここで目覚める事が問題なのだ。
目覚める前、自分は確かに『こちらの世界で眠りについた』。
ごくごく当たり前のことではあるが、『お嬢様』にとっては異常事態である。
何せ、あのファーレンという国に召喚されてからは、こちらの世界で眠りにつくとあちらの世界で目覚め、あちらの世界で眠りにつくとこちらの世界で目覚め、というサイクルを繰り返していた。
つまり、どちらかが現実世界でどちらかが夢の中の世界のような構図である。
それが、こちらの世界で眠りにつき、こちらの世界で目覚めてしまった。
つまり、ファーレンでの一日が飛ばされてしまったのだ。
これは明らかにおかしい・・・。
考えに耽っていると、着替え係の女官達が部屋に入ってくる。
いつもと違う雰囲気の主に気付いたようであるが、何も言わずに仕事だけを淡々とこなす。
使用人とは、こういうものだ。この館で主に声を掛けることが許されているのは、使用人長であるセバスチャンだけである。
着替えが済むと、そのセバスチャンが給仕の女官と共に入室する。
主の表情を見てとった老執事は、片眉を吊り上げて訪ねた。
「お嬢様、ご気分が優れないようにお見受け致しますが?」
「体調に問題はありませんわ」
「左様でございますか」
執事は、主が決して身体に無理をしないことは承知していた。
そして不要な嘘など決してつかぬ。体調は悪くないのであろう。
となれば、気の病みを持っているのやもしれぬ。
しかし、今この主は執事を必要としていない。
とあらば、常に主の声の届く処に侍り、見守ることにしよう。
執事は一礼をし、給仕係を残し部屋を辞した。
4
朝食の後も、『お嬢様』は呆けていた。
久しぶりの『寝起き』の感覚に、頭がついていっていないのかもしれませんわね・・・。
そんなことをぼんやり考えてみる。
いつか、こんな日が来ることは覚悟していた筈だった。
名門、メディチ家の家系に生まれながら存在を消された者。
これこそが本来の自分の姿であり、あのファーレンという国での自分の生活は、まだ季節が二巡するほどしか過ごしていない。
当然、唐突に始まったように、唐突に終わりを迎えるものだろうと覚悟しているつもりだった。
それが今日だったのだろうか?
今まで感じたことの無い感情がこみ上げる。
少女のセバスチャンには、もう会えないのだろうか。
研究所の面々とは、もう言葉を交わせないのだろうか。
セルローニャがまたくだらない事をやらかしているのだ。自分が監視しなくてはならないのに。
様々な思いが頭を駆け巡る。
そう、何も覚悟なんて出来ていなかったのだ。
何も・・・。
私は何に未練を感じているのだろう。
あの世界での出来事は、言わば全て暇つぶしのつもりだった筈である。
それが今日、唐突に終わったところで、私に何の害も無い。
それとも私は、あの世界に何かを求めていたのだろうか。
私はあの世界で、一体何がしたかったのであろうか。
考えているうちに、時刻はすっかり夜になっていた。
今日はあちらの世界に行けるのだろうか?
眠ることに恐怖を感じつつ、『お嬢様』は床についた。
5
意識が遠くなったと思いきや、すぐに鮮明になる。
いつのも感覚。
目をあけると、憔悴しきったベレー帽の少女の顔があった。
そして、枕の位置が妙に高い。そうやら、この少女に膝枕をされている形のようだ。
ふと、少女と目が合う。目の下が黒い。
「隈がひどいですわね」
「あ・・・お・・・!」
「青?」
「おはようございます!ヌシさん!」
目を見開き、驚いた表情で朝の挨拶をする少女。
上体を起こしながら、『お嬢様』は挨拶を交わす。
「おはよう。どうしましたの?膝枕なんかして」
「ヌシさん!今日が何日か分かってますか!」
「分かりませんわ」
回廊生活が長くなると、当然日にちの感覚なんてものは消失する。
「私もですけどっ!」
当然である。
「そうじゃなくって!ヌシさん昨日はずっと眠り続けていたんですよ!」
「あら?」
なるほど、こちらの世界ではそういうことになっていたのか。
高揚状態にあるベレー帽の少女をなだめつつ、昨日の状況を聞き出すと、どうやらこちら側の世界では、自分は丸一日眠り続けていたらしい。
一通り話尽くすと、少女は安心したように
「でも、本当に良かったですよ。もう起きないかと思いました!」
と笑顔で言った。
それは、『お嬢様』にしても同じことではあったが、不敵に微笑むだけで何も言わないでおく。
今日はどうやらこちら側の世界に来ることが出来た。では今後は?
昨日だけ偶然来ることが出来なかった?
それは楽観というものであろう。何より、今この状態のほうが自然ならざることくらい、当の『お嬢様』自身が一番分かっている。
いつまでもこのまま、という訳には行かないか・・・。
『お嬢様』は大きく息をつくと、腹を決めた。それは、この平和な日常への決別の覚悟であった。
でも、今日だけは。今日という日くらいは、この少女と思い出話にでも花を咲かせることにしよう。
6
「監視ですか?」
翌日、『お嬢様』に呼び出されたベレー帽の少女は驚き訊き返す。
今日になっていきなり、回廊を出てある人物の監視をするように言い渡された為である。
「そう、監視ですわ」
「私が・・・ですか?ヌシさんの身の回りの世話は誰がするんです?」
嘆かわしいことに、この少女は当初の自身の目的などはすっかり忘れているようである。
もっとも、当初そのように仕向けたのは他でもない、『お嬢様』なのだが。
「私なら一人でも大丈夫ですわ。それに、ここを出れば研究所の連中もいますし、食い逸れることはありませんわ」
「今、何と?!」
流石にこの一言には少女も驚いた。
「だから、回廊を出てローゼンベルクに行きますのよ」
「どうしちゃったんですか?!あんなに拒んでいたのに・・・」
「別にあのオスカーとかなんとか黒いのの言い分に従う訳ではありませんわ。今後のことを考えるなら、ローゼンベルクで生活したほうが何かと都合が良いというだけですわ」
「・・・そうまでしての『監視』って、一体何の為に行うんです?」
『お嬢様』はゆっくり頷き、説明を始める。
現在、ちょっと困ったことが起こっている。
ある人物が、ある者を異世界から呼び出したのだが、それは本来呼び出してはならない者だった。
呼び出された者は、不完全な呼び出しであった為、以前の記憶を失った状態で呼び出されている。
その為もあって、今のところ大きな害は発生していないのだが、仮に今後記憶を呼び覚ました場合は非常に厄介である。そして、近々そうなる可能性は非常に高いというのだ。
今は親衛隊長がこの者を探しているが、捜索に難航しているので少女にも加勢をして欲しいと言う。
「その『呼び出された者』が見つけて監視し続けるんですか?記憶を取り戻したらどうするんですか?」
「記憶を取り戻す前に、呼び出した人物を探す必要がありますわね。この世に存在してはならぬ存在は、排除しなくては・・・」
「イヤです」
「聞き分けなさい」
「イヤです!」
ちょっと驚いた。ここまでこの少女が反抗的になることは今まで無かった。
確かにこの任務は危険も伴うし、気乗りがしないのも分かるが、それを言ってしまえば今までにこの少女に依頼してきたことのほうがよほど気乗りしないものばかりであった筈である。
なので、なんとなく話を切り出す際にも、従ってくれるであろうという思いがあった。
「何が嫌なんですの?理由をおっしゃい」
「分かりません!」
益々怒った様子で言う。何故怒るというのか。『お嬢様』には何が何やら分からない。
そもそも、理由が分からないのに怒るとはどういう了見か。その日は懇々と説得したが、最後まで少女は納得することが無かった。翌日も、その翌日も同じ話を出したが、少女は話を始めると逃げ、とりあおうとはしなかった。
そうしているうちに、また『お嬢様』が眠る日がやってきた。
7
目が覚めると、そこには天蓋が映っていた。
ああ、またか・・・。
こちら側の世界で眠り、あちらの世界での一日を飛ばして、こちら側の世界で目覚める。今の『お嬢様』にとって、これほど恐ろしいことは無い。今度こそ、あちら側の世界には二度と戻れないのではないか。そんなふうにも思えてくる。
悶々として一日を過ごし、床に就く。
目覚めた時、どうか回廊でありますように。
ふと思う。
何故あの世界に戻りたいのか。
前にも感じた疑問。
あの時、真っ先に思い浮かんだ顔は・・・そう。
あのベレー帽の少女であった・・・。
理由なんて、付けようが無い。
ただ、あの平穏な日々を失うことが嫌だった。
そう、理由なんて付けようがないのだ。
だからあの少女も・・・その日常を失うことを頑なに拒んだのではないか。
しかし、もう維持は出来ない。
このままなら、あちら側で目覚めない日の頻度は増える一方であろう。
そしてそのうち、あちら側では目覚めなくなる。
その時に、あの少女には傍にいて欲しくない。
なぜなら、それはあちら側の『ヌシ』が死ぬ日だから。
その日が来る前に、『ヌシ』は元の世界に帰ったことにしなくてはならない。
「ごめんなさいね・・・」
そう呟くと、『お嬢様』は眠りに落ちていった。
枕の位置が高い。
そう思って目覚めると、またしても少女の膝の上であった。
ほっと安堵の息が漏れる。
そして、ベレー帽の少女は・・・。
またしても目の下に隈を作って、自分を見下ろしていた。
「ヌシさん・・・」
「おはよう、セバスチャン」
「私、回廊を出ます。ヌシさんの言う通り、呼び出された者の監視をします。ですから・・・」
これには『お嬢様』も驚いた。まさか開口一番、こんな話をされるとは思ってもみなかった。
「ですから、教えて下さい。ヌシさんは、ご自分が目覚めない日があることの理由を知っているんじゃないですか?」
「・・・質問は一つだけですの?」
「いいえ・・・」
「では一つに絞りなさい。それに私が答えたら、回廊を出なさい」
少女は口を一文字に結び、『お嬢様』を見つめている。
「では・・・」
少女は少しの間考え、そして意を決して口を開いた。
「今回の回廊を出ろという命令は、最近ヌシさんが眠り続ける日があることと関係ありますか?」
「ありますわ」
言うと『お嬢様』は上体を起こし、少女のほうを振り返らずに続ける。
「私なりに考えた結果の、最良の方法だと思っていますの。信じて頂戴」
「分かりました。行ってきます!」
少女は元気よく答えた。が、その声は震えていた。
そして、消え入りそうな声で
「また会えるんですよ・・・ね?」
と呟く。
やれやれ、質問は一つまでの約束なのに・・・。
「何言ってますの?ちゃんと通信機でも連絡しますし、大袈裟ですわ!」
明るく言ってみせ、微笑んでみせた。
8
「それじゃあ、研究所の皆さんにはお土産にコレを。あ、あと今日のお昼ご飯は、そこの包みですよ?お食事も研究所でお世話になるんでしたら、ちゃんとアレルギーがある事も伝えておいて下さいね?」
「ああ、分かりましたわよ、もう・・・」
少女の出発の準備が終わり、別れの時にベレー帽の少女は『お嬢様』に対し、自分の荷物の数倍はあるかという量の荷物を用意した。
研究所面々への土産に留まらず、『お嬢様』の着替え、研究所面々に宛てた『お嬢様』の生活を支える上での注意点を書き記した文庫(と表現するにふさわしい量のメモ群である)、食料品、化粧道具、日用雑貨等々、どうして回廊で手に入ったのかと思えるほどのバラエティーと量である。
この少女は執事としての才能があるのではないか?いや、性別からするとメイド長であろうか。
初老のセバスチャンとは性格が異なるものの、こちらも非常に世話焼き体質である。
「私は暫く出発しませんわ。私のことは良いから、早く出発しなさいな」
「そうですね・・・ではそろそろ行きます。あ、ジョンちゃんの散歩は朝晩で一日二回お願いしますよ?そうじゃないと太っちゃいますから。エサは散歩の後に一回ずつとお昼に一回・・・」
なかなか終わりそうにない。
仕方ない。『お嬢様』は諦めると、この少女の心ゆくまで小言に付き合うことにした。
冬の回廊はシンと静まり返り、凍てつく寒さに満ちている。こんな居心地の悪いところに、よくも二人で住み続けたものだ。
色々なことがあった。
初めてここに降り立った時、自分が一人であることに焦った。
とにかく話し相手くらいは確保しようと、出会った少女を半ば強引に付き人にさせた。
桜の木の役をやらせたり、ペットを用意しろと言ってみたり、寸劇で遊んでみたり。
いつでも困った顔をしながら、それでもいつも付き合ってくれた。
「セバスチャン」
「なんですか?ヌシさん」
「今まで、私はここで楽しく生活させて頂きましたわ。でも、あなたはどうでしたの?」
気づくと、そんな質問が口をついて出ていた。
そう、それらは自分にとっては楽しい事柄であったが、この少女の視点で見てみると、振り回されているだけで楽しげには思えなかったのである。
「何を言っているんですか~」
笑いながら少女は
「楽しくなかったら、こんな所に、ずっと一緒に居ませんよ!」
そういうと、回廊の出口へと歩を進め
「では、行ってきます!目的地でアハーンさんに合流したら連絡しますね!」
と、一礼した。
その姿に手を振って、『お嬢様』は見送った。
もう再び見ることは叶わぬであろう、その姿をしっかり目に焼き付ける為に。
[7回]
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